【プログラミング上達の本質に通じる光景】
今あなたは電車に乗っています。
目の前には親子連れがいます。
そんな光景を想像してみてください。
電車で靴を履いたまま後ろ向いて
窓の外を眺めてる子ども。
親はどう注意するべきでしょうか?
あなたならどうしますか?
1.「くつ脱ぎなさい!」
2.「●●くん、おくつ脱ごうね」
3.「シートが汚れるから脱ぎなさい」
4.「前のおじちゃんに怒られるから脱ぎなさい」
どれも100点ではないと思うんですよ。
いけないことをしてしまったんだということを
子どもに気付かせることはできても、
「なぜイケナイことなのか?」
が伝わらないからです。
前のおじちゃんに怒られるなんて、
本当の理由じゃないですよね?
じゃあ、おじちゃんがいなかったらしてもいいの?ってことになる。
シートが汚れるというのも惜しいけど不十分。
シートが汚れるとなぜイケナイのかが伝わらないからです。
「ボクは汚れても気にしない。」
↓
「だから靴を脱がなくてもいい。」
という子供なりの論理が、
靴を脱がないことを正当化します。
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私なりの回答
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<手順1>
靴を履いたまま後ろを向くと、
靴についた泥や砂埃がシートに付く
という因果関係をわからせる。
↓ ↓ ↓
子どもが見てわかるようにシートに
靴に付いた砂埃を落として「見せる」
↓ ↓ ↓
目で見せた事実は否定できない。
「靴汚れてないもん」という逃げ道
をシャットアウトできる。
<手順2>
シートの汚れた部分ときれいな部分
を交互に指差しながら、子どもに
「●●くんだったら、バッチイほうと
キレイキレイなほうのどっちに
座りたいかな?」
と聞く。
↓ ↓ ↓
自分だったらどっちがいいかという
正直な感情に選択を委ねるので、
嘘はつけない。
(自分の本心に反するので)
↓ ↓ ↓
靴を脱がないとシートが汚れ、
汚れたシートは嫌だという、
否定しようのない2つの事実に
因果関係が生じる。
↓ ↓ ↓
靴を脱がないのはイケナイことだ
ということが理解できる。
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まとめ
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何かをきちんと理解するためには、
どうすればよいかという「やり方」
を知るだけでは不十分だということ。
こうすればああなる、
ああなればこうなる、
という因果関係に気付いてはじめて
本質的な理解が得られるのです。
転じて、人にものを教えるときは、
具体的な手順だけではなく
各手順のつながり(因果関係)が
分かるように「導く」ことが大事。